空の彼方へ

秋に国際宇宙ステーション(ISS)へと飛び立つマティアス・マウラーは、ル・マンで総合優勝した経験があり、新記録保持者でもある元世界耐久選手権チャンピオンのレーシングドライバー、ティモ・ベルンハルトと対談を実現した。宇宙飛行士とレーシングドライバーの二人は、どのようにして自身の夢を叶えたのだろうか。二人に課されたそれぞれの使命。それは職務への献身だった。

   

フランスとの国境にある小さなドイツの州、ザールラント。ここではよく人々が空を見上げる光景を見かける。彼らの視線の先にあるもの、それは飛行演習の訓練を行う軍用機だ。マティアス・マウラーとティモ・ベルンハルトも幼少時代にはこうした空の景色をよく目にしては、テクノロジーとスピードに魅了されてきた。その後、1 人は宇宙飛行士になり、もう 1 人はレーシングドライバーとなった。全く違う職業を選んだ二人だが、職業キャリアにおいて粘り強さ、自己への高い要求、体力、そして大きな国際的スペシャリストのチームの一員として働いている等の共通項が見受けられる。両者共に強烈な “G” と戦うべく、技術を駆使した準備が精確に行われることがどれほど重要であるかを良く心得ており、エンジニアとの無線連絡こそが生き残りを賭けたライフラインとなるのだ。

宇宙実験室:

宇宙実験室:

At the ESA site in Cologne, Matthias Maurer (right) shows Timo Bernhard the exact replica of the Columbus module of the ISS.

宇宙飛行士

打ち上げからわずか 10 分間で 0 から 28000km/h まで加速するスペースシャトル。欧州宇宙機関(ESA)の宇宙飛行士マウラーはこの加速が何よりも好きだ。この秋、彼はスペース X 社によるファルコン 9 ロケットの先端部分、クルー・ドラゴン・カプセル(下部には数百トンの爆発性の高い燃料を搭載)でそのスピードを体感することになる。打ち上げから約 24 時間後には国際宇宙ステーション(ISS)へ到着し、業務を開始する。マウラーの仕事は長期にわたることが予測され、ISS に 6 ヶ月滞在する間に各宇宙飛行士は非常に狭い空間の中で 100~150 回の実験を行う。マウラーは材料科学の博士号を取得しており、中でも無重力状態において新しい金属合金を開発することが専門だ。そしてこうした技術こそ、モーターや太陽電池をより効率的にするために必要となるのだ。

「一度ステーションまでの細い命綱を失えば、一瞬で宇宙の廃棄物と化してしまうのです」 マティアス・マウラー
ウォームアップ:

ウォームアップ:

Matthias Maurer’s space suit is made for weightlessness. The human inside it isn’t.

実験は彼自身もまたその対象となる。プロジェクトがスタートする頃、マウラーは 51 歳になる。宇宙ステーションでの 6 ヶ月という期間の中で彼の骨は地球にいる時よりも 30 倍速く老化するのだ。「私たち人間の体は無重力のために作られていません。筋肉と免疫システムが破壊され、視力に問題が生じてきます」と、彼はこう言う。視神経が損なわれる可能性があるのだ。業務ルーティンに毎日 2 時間の運動が含まれている。人々が宇宙で健康を維持する方法や月に住む方法、そしてそこからさらに火星へと行く方法を見つけることが彼の課題だ。

マウラーが宇宙飛行士として欧州宇宙機関(ESA)に応募したのが 2008 年。8500 人に 1 人の難関を見事勝ち抜いた。「私は科学者として、最高峰のテクノロジーを備えた国際的なチームで働く機会を得ました。自分の冒険心に火がついたんです」と、彼はこう語る。2017 年にヨーロッパの宇宙飛行士隊の一員として採用されるまではとにかく待たなければならなかった。その間に彼は自分で採血や抜歯する方法を学び、洞窟や水中でのサバイバルトレーニングを習得した。学生時代に学んだ英語、フランス語、スペイン語に加えて、現在は中国語とロシア語も習得している。万一の場合に備え、国際チームの他の同僚ともコミュニケーションを図れることが求められるからだ。

レーシングドライバー

マティアス・マウラーとティモ・ベルンハルトが出会ったのは 2017 年、ニュルブルクリンクのポルシェボックスだった。幼少時代、マウラーはレーシングドライバーになりたいと紙に綴っていたように、ベルンハルトもまた 4 歳の時にアマチュアレーサーだった父親と彼の友人たちにレースに出場したいと話していた。「ただ私は父親たちのように趣味でレースに参加したいとは思っていませんでした。レーシングドライバーとして成功し、お金を稼ぎたかったんです!」と、現在 40 歳のベルンハルトは笑いながら当時のことをこう語る。実際、彼は決して諦めることなく自分のやりたいことを続け、両親もまたその固い決意を受け入れ、経済的にギリギリだったことを息子に感じさせることなく、カートレーシングやフォーミュラレーシングに参加させたのだった。

「絶対に実行可能なことを 1%削減することで、リスクは半分に軽減されました」 ティモ・ベルンハルト
フォローアップ:

フォローアップ:

Timo Bernhard reflects on his career and the most dangerous thing he ever did.

そして 18 歳の時にポルシェ・ジュニアに入り、2002 年にワークスドライバーへと昇格。そんな彼の次なる夢はポルシェのレーシングドライバーとしてル・マン 24 時間レースで総合優勝を獲得すること。しかしベルンハルトもマウラーと同様、チャンスが訪れるまでに長い間待つ必要があった。そしてマウラーも同様に、待っている間も日々の学習とトレーニングを決して怠ることはなかったのだった。

そして月日は流れ、ベルンハルトはデイトナやセブリングといった主要な長距離レースで勝利を収め、ニュ
ルブルクリンク北コースで行われた 24 時間レースでは実に 5 回もの総合優勝を果たしている。2012 年からは耐久レースのトップカテゴリーへと返り咲くことを目標に、ポルシェプロジェクト初のドライバーとして専念し、ル・マンプロトタイプとなるポルシェ 919 ハイブリッドの全ての後続モデルを操縦。

しかしながら 2014 年、2015 年、2016 年とル・マンでのポルシェ総合優勝まであと一歩の所で惜しくも逃したのだった。そして迎えた 2017 年、ル・マン 24 時間レースで念願の勝利を収め、大粒の涙をこぼしてその栄光を喜んだベルンハルト。彼は自身のキャリアを積み重ね、トップアスリートへと登り詰めたのだった。我欲を捨て、チームワークを貫く能力。それが必要なのは欧州宇宙機関(ESA)だけではなかったのだ。レーシングドライバーとは謂わば “歩くデータレコーダー” であり、エンジニアが必要とする情報を集積していると考えるベルンハルトは、次なるステップとして自身でマシンの改良や調整ができるようになるために、テクノロジーの世界にも足を踏み入れた。そして 2018 年にはニュルブルクリンク北コースで開催されたレースに参戦。レーシングカーを改良した 919 ハイブリッド Evo のステアリングを握り、見事 5 分 19 秒 546 でラップレコードの新記録を樹立したのだった。


駆動システム

「最初のうちはドライビングの持つフィジカルな要素を純粋に楽しんでいました。カートレースを制覇してドリフトを経験し、スピードはどんどんと速くなりました。そこから競争への意欲が沸いてきました。そして時間と共に、技術的な面もカバーしていきたいという気持ちが芽生えてきました。これが 3 番目の動機であり、最も重要な意味合いを持っています。レーシングのことだけを考えて走っているドライバーはそんなに多くはいないと思います」とベルンハルトは言う。

ブレーキの品質や安全なプラスティック製タンク、高性能かつ低燃費を両立したエアロダイナミクス、効率的なターボチャージャー、そしてハイブリッド車や電気自動車における徹底したエネルギー管理。技術的なディテールにも目を向けるようになったベルンハルトは「919 ハイブリッドで 800V テクノロジーを採用したことで、市販モデルのフル EV 車となるポルシェ・タイカンの手筈が整いました。フォーミュラ E に純電気自動車を投入し、ポルシェ・モービル 1 スーパーカップでは再生可能な合成燃料の試験を実施します。レーシングを通じてテクノロジーを常に進歩させていく必要があると思います」と、彼はこう語る。

例えば地球を周回するサテライトの開発によって天気予報やナビゲーション、通信システムが可能となったように、将来的に必要されるテクノロジーをテストすること、それはマウラーにとって重要は任務の一つである。「スペーストラベルには地球上で最もサスティナブルな製品である太陽エネルギーが使用されています。私たちはこうしたテクノロジーを宇宙で開発し続けています。また軌道から見える極めて薄い青線は、地球の気候形成に影響を及ぼしています。それをさらに良い方法で保護する研究が行われています」とマウラー。

競馬にせよ乗り物を使用したレースにせよ、古くから競争は存在し、それは普遍なものとも言える。それはマウラーが最大の関心を寄せる宇宙と通ずるものがあるだろう。「私たち人間はいつの時代も空を眺め、宇宙を理解したいと思っていました。月は地球の一部であり、40 億年もの間手つかずになっていました。私たちはそこから何かを学ぶことができるのではないでしょうか」と、彼はこう主張する。今後の任務で月へ行きたいと切望している。「数十年後には人々が再び月面に到着し、そこで定住するようになるでしょう」とこう予測するベルンハルト。空気、水、燃料は月の砂から生成され、この方法は後々、火星でも使用されると言う。「地球と火星を往復するには少なくとも 500 日かかります。効率よく辿り着けなかったり、スペースシャトルで運べるものが生存に必要なものだけに限られているのであれば、それは意味がありません」と彼はこう話す。

テクノロジーの結晶:

テクノロジーの結晶:

The Porsche 919 Hybrid yielded groundbreaking insights for the field of e-mobility.

勇気 

宇宙飛行士とレーシングドライバーにとって、怖いもの知らずである必要は決してない。予めリスクを予測することの方が重要な能力なのである、「緊急時にリスク回避できるように、トレーニング中に物理的な限界領域を体験することが重要です。言うならば自分は研究者なのですから」とマウラー。特にスペースシャトルの離着陸時、彼の培った経験が大事になってくる。「たとえ地球の大気圏に再突入する場合でも、カプセル自体はその苛酷な環境に耐えることができます。もちろん短時間とは言え、最大 9~10G の重力加速度に耐える必要があります。通常はピークで約 3.5~4G にも及びます。一方、ティモがレース中に経験する負荷はブレーキング時には最大 5G まで、さらにコーナリング時の横加速度にはさらに上がります」と説明するマウラー。彼にとって ISS は安全な場所であり、そこでは全て監視と制御が行われている。ではスペースシャトル内での浮遊はどうだろうか。「実際にかなりの勇気が必要となります。自分の生死を分けているのはわずか 3mm のプレキシグラスだけです。同僚が話してくれたのですが、ハッチを開けた際、無重力状態がいかに不合理な空間であり、そこで転倒するのではないかという恐怖は計り知れないそうです。一度ステーションまでの細い命綱を失えば、一瞬で宇宙の廃棄物と化してしまうのですから」

同様に危機管理能力に関してその重要性については十分に認識しているベルンハルト。「自分は無謀な走行を避け、低燃費や戦略を意識した走行を行っています。けれどニュルブルクリンク北コースでのレースで 919Evo を操縦した際、自分の中の勇気も全て振り絞らなければなりませんでした。これまでに誰も体験したことのない、脚本に載っていないレース展開だったのです」。慣れ親しんだサーキットと高性能レーシングカーが出会ったことで、彼の冒険心に火がついた。最高速度は 369.4km/h。「かつてないほどの緊張感でした。チームスタッフたちとかなり細心の注意を払って準備を進め、このラウンドに全てを賭けました。その後は放心状態でしたね」と、彼は当時を振り返り、笑みを浮かべる。感覚も麻痺するほどであったが、このような状況下でもリスクマネージメントに抜かりはなかった。「絶対に実行可能なことを 1% 削減することで、リスクは半分に軽減されました」とベルンハルト。ポルシェが彼をドライバーに選出した理由は、まさにこの能力にあるのだ。

今後の展望

最大の目標が達成されると人はどうなるのだろうか。ミッションを完了した後で生きる意欲を失ってしまった人、次のプロジェクトに向けて更に夢中で仕事するようになった人。マウラーは実に様々な同僚を見てきた。「新しい目標を見つけることも自分にとっての課題です。今回の経験を通じて自分は何を体得するのか、そう考えるとてもワクワクします」と話す。

 一方で新たに最先端テクノロジーおよびポルシェ E モビリティのブランドアンバサダーを務めることとなったベルンハルトは「自分が何か極めたと感じたとき、私はドライバーとしてのキャリアを終えるのだろうと思います」と話し、他にも自身の経験を語る機会を設け、レーシングチームを立ち上げて若い才能の発掘に勤しんでいる。2018 年にはマウラーからの招待によりケルンの ISS 宇宙飛行士のトレーニングセンターを訪れ、ISS のモジュールを深く知ることになったベルンハルト。その彼の熱意は家族にも影響を与えたようで、現在 8 歳の長男、ポールの夢は宇宙飛行士だ。今年の秋にマウラーが宇宙へと出発する際にはその様子を間近で見届けられるよう、父と息子二人のフロリダ旅行を検討している。マティアス・マウラーとティモ・ベルンハルトが今、若者に対して伝えたいこと。それは好奇心を持ち続け、心に耳を傾け、何事も諦めないで欲しい、ということだ。夢を持つ者こそ、夢を実現できるはずだから。

Heike Hientzsch
Heike Hientzsch