Lap Time:86:00:00.00
1970 年 8 月 18 日。深夜1時に 64 台のレーシングカーが一斉に走り出した。
世界で最も危険なサー キットのひとつであるドイツ、アイフェルトのニュルブルクリンク北コースを舞台に、マシーンの耐久性とドライバーの体力が試される 86 時間耐久レース “マラソン・デ・ラ・ルート” の幕が切って落とされたのである。全長 28.29km のコースには 50 ものコーナーが存在し、ガードレールはあっ てないようなもの。その “グリーン・ヘル” を三日半連続して走るのだ。“マラソン・デ・ラ・ルート” は過酷なレースとして悪名高い。1956 年に開催されたリュティッヒ~ローマ~リュティッヒ・ラリー での走行距離は 5000 キロで、参戦したドライバーたちの疲労困憊は想像を絶するものだったというが、1970 年のニュルブルクリンク耐久レースの総走行距離は実にその倍。ドライバー三人体制で挑むとはいえ、その過酷さは想像を絶するものがある。
ポルシェは PR 戦略の一環として、この 86 時間耐久レースに 3 台の 914/6 を投入することにした。ワークス仕様の 914/6 はフォルクスワーゲンから提供された最高出力 160PS を誇る水平対向 6 気筒エンジンをミドシップに搭載し、シャシーとブレーキも強化。各部徹底的に軽量化された上で、大型燃料タンクとレース仕様のライティングシステム、LSD が装備されていた。ドライバーの準備にも抜かりはなく、ヴァイザッハでは昼夜を問わずテスト走行が繰り返され、あらゆるトラブルに対応すべく 9 人のドライバー全員が自力でマシーンを修理する訓練を受けるという徹底ぶりだった。消耗戦と化したレース本番、ポルシェのワークス・ドライバーたちは凄まじい集中力を見せ、オーケ・アンダーソン/ギー・シャソイル/ビョルン・ワルデカルド組操るポルシェワークスカー 914/6 (スタートナンバー♯ 3)が最速ラップタイムとなる 12:38 を叩き出す。最後の夜の帳が明けた時点で先頭集団を形成していたのは 3 台のポルシェ 914/6 だった。
64 台中、完走わずか 24 台という結果に終わった 1970 年の “マラソン・デ・ラ・ルート”。ポルシェはスタートナンバー♯1 の 914/6 を操縦したクロード・ハルディ/ジェラール・ラルース/ヘルムート・マルコ組が計 10184km(360周)を走破して優勝。2 位にはベストラップを記録していた 914/6♯3 が、3 位にクロード・バロット=レナ/ニコラス・コーブ/ギュンター・ステックキューニヒ組が入って見事 1-2-3 フィニッシュを飾った。当時のメンテナンス記録表にはこう書かれている。『タイヤ交換 1 回(各車)、ヒューズ故障2回、テールランプの電球交換 1 回、ウィンドウクランクハンドルの脱落 2 件』こうして 9 人のドライバー全員の力で 914/6 はポルシェらしい安定したパフォーマンスと絶対的な信頼性を証明したのである。
1970 年 8 月 18 日–22 日
マラソン・デ・ラ・ルート/86 時間耐久レース
ニュルブルクリンク、ドイツ
全長:28.29km
クロード・ハルディ/ジェラール・ラルース/ヘルムート・マルコ
ポルシェ 914/6