未来の 先
超大作『スター・ウォーズ』を手掛けるルーカスフィルムのヴァイスプレジデント兼 チーフデザイナーであるダグ・チャンは、愛車であるポルシェ・ボクスター S での ドライブ中にインスピレーションを受けることが多いのだという。まもなくポルシェがデザインを手がけた宇宙船が飛び立つ。その前に、サンフランシスコにあるルーカス フィルムの聖域なるアトリエを覗いてみよう。
薄明の中、濃霧に包まれたゴールデン・ゲート・ ブリッジ。ダグ・チャンは頭の中でクリエイ ティブな発想を広げながら、愛車であるシルバーのポルシェ・ボクスター S(2005 年製)をルーカスフィルムのスタジオのあるサンフランシスコ方面へと走らせる。 「天気のいい時はルーフを全開で風を切りながらドライブするのが好きですね。ポルシェが放つエンジンサウンドを感じながら、路面を這うように突き抜けていく感覚には未だに感動すら覚えます。圧倒的なパワーとエレガンスを感じさせるこの感覚は、新しい宇宙船のデザインにも影響しています」。
午前 6 時半。チャンはオフィス兼アトリエで仕事を開始する。ディズニーの子会社であるルーカスフィルムでチーフデザイナーを務めるチャンは、映画やテレビドラマだけに留まらず、PC ゲームや新しいテーマ パークと至るまでスター・ウォーズに関する全てのデザインに携わり、少数精鋭のスタッフと共にスター・ウォーズに登場するクリーチャーやロボット、そして惑星や銀河系を創り出し、映画のセットや登場人物、そして宇宙船を手掛けてきた。
ジョージ・ルーカスの構想を基に 1977 年に誕生した SF 超大作『スター・ウォーズ』。世界中の映画ファンが熱狂の渦へと巻き込まれていく中、今日に至るまでデザイナーとして初心を忘れることなく仕事に取り組んできたと話すチャンは、「よいデザインが空から降ってくるのであれば苦労はしません。まずは現実世界でのリサーチから始まります。何事も細かすぎるところまで観察すると、面白い発見がありますからね」と自身のオフィスで腰を掛けながら説明して くれる。
彼のオフィスには 2 台の大きなデスクが置いてあり、その 1 台のデスクの上でフェルトペンやカーボンペンでアイデアを紙に描いてスキャンすると、もう隣のデスクで 3 台のモニターに接続している大型タブレットに取り込んで加工を入れていく。
「街灯や自然の景色、微生物、光と影が生み出す陰影などの写真を常に集めていますね。こういう素材のストックが意外と後で使えたりするのですよ」と説明するように、彼の言う “インスピレーション” には、例えば偶然に目にしたカタログに載っていたアンティークの戸棚に付いているドアのヒンジなども含まれる。ヒンジの構造に興味を示したチャンは自身のコレクションに一つずつ増やしていき、数年後、ヒンジを宇宙船のサスペンション装置のデザインに応用したのだった。
「よいデザインが空から降ってくるのであれば 苦労はしません。まずは現実世界でのリサーチから始まります」 ダグ・チャン
「まずシルエットのデザインから始めます。誰が見てもすぐ分かるロゴのようなものですから、シンプルでなければいけません。映画館特有のルールですが、観客が 3 秒以内に理解できなければ、それは良いデザインとは言えません。どのデザインにも個性は必要です。新しい世界だろうが、宇宙船だろうが、善悪の区別を本能的に判ってもらわないといけないのです」 とチャンは自身のデザイン哲学を語る。
こういう物の考え方ができるようになったのは、ダグ・チャンを見出してくれた巨匠ジョージ・ルーカスのお陰だろう。1990 年代初め、全 9 作品からなる『スター・ ウォーズ』の新三部作エピソード 2 の撮影が開始する直前、ルーカスは彼にデザインの仕事を与えた。それは台湾出身のデザイナーであるチャンにとって幼少期からの最大の夢が叶った瞬間だった。「ロボットや架空の生物を創り出すこと。それは私が一番やりたかった仕事でした」と当時を振り返る。幼少期を台湾で過ごし、砂道に棒で絵を描いて遊ぶのが大好きだった少年は、10 代の頃、ミシガンに移住すると、自分の部屋に籠っては頭の中に浮かぶ空想の世界を紙に書き起こしていたのだった。
チャンは自分が “覚醒” した瞬間のことを今でも鮮明に覚えている。一度目は 15 歳の時で、映画館で初めて『スター・ウォーズ』を観た時だ。そして二度目はその一年後にジョージ・ルーカスの周囲で活躍する映画制作者の仕事の様子を撮影したドキュメンタ リーを観た時のことだった。「この二つを観たことで私の人生は大きく変わりました。今まで家に籠ってやってきたことが仕事になるかもしれないと思ったのです。どうにかしてジョージ・ルーカスのような人になりたいと思うようになりました」と当時を振り返るチャン。こうしてルーカスに魅了されたチャンは地元の図書館で映画制作に関する本を借り、独学でストップモーション・ビデオを制作した。それは様々なキャラクターたちが異なる動作で一歩ずつ歩くことを学んでいく過程が描かれたものだった。
チャンは 20 歳の時にロサンゼルスへ引っ越し、カリフォルニア大学の映画学科に入学し、そこでテレビ広告の監督として最初の実務経験を積んだ。そして 1989 年、彼の長年の夢が実現に向けて大きく動き出す。ルーカスが設立した特殊効果および VFX の制作会社インダストリアル・ライト&マジック(ILM)が短期プロジェクトを担当するフリーランサーを募集していたのだ。それを知ったチャンはすぐに荷物をまとめ、600cc のカワサキ・バイクを走らせてサンフランシスコへと向かったのだった。
運良く仕事を貰ったにもかかわらず、チャンはダブルパンチをくらってしまう。「一つ目はハイレベルな仕事内容に愕然としました。自分の力不足を感じた瞬間ですね。そして二つ目は、ルーカスが新しいス ター・ウォーズの制作予定がないと知った時です。自分の夢が初日にして崩れ落ちるような感覚でした」。
それでもチャンは下を向くことなく、ILM のスタッフとして優秀なデザイナーになることを決意し、1 年の間不眠不休で仕事に精を出し、コスチュームやクリー チャー、乗り物のデザインとペインティングやレンダリングの技術を習得していった。その甲斐あってか、 1993 年には ILM でビジュアルエフェクトのクリエイティブディレクターに任命。映画『永遠に美しく』の制作にも携わり、その作品で見事アカデミー賞の視覚効果賞を受賞したのだった。
チャンの情熱と勤勉さが伝わったのだろうか。1994 年、ジョージ・ルーカスは映画『スター・ウォーズ』のエピソードを新たに制作することを発表したのだ。その際、チャンは勇気を出してポートフォリオを匿名で提出。 チャンの豊富なアイデアに感心したルーカスは制作スタッフに迎え入れ、1995 年にはルーカスフィルムの芸術監督としてチャンを任命したのだった。
こうしてルーカスとチャンはタッグを組み、スター・ ウォーズの時系列と視覚言語を定義すると、ダース・ベイダーの歴史とルーク・スカイウォーカーとその仲間にまつわる新たな 3 作品を手がけ、1999 年から 2005 年の間にエピソード 1、2、3 の新三部作として映画館で公開されている。
高空飛行:
スター・ウォーズの世界で自分の居場所を見つけた ダグ・チャン。子供の頃からの夢を実現させ、チーフデザイナーまで登り詰めた彼は、全人生を賭けてその仕事に取り組んでいる
現在 75 歳になったルーカスはチャンの自宅からも程近い、サンフランシスコ北部のマリン郡で暮らしている。「ジョージは現役からは引退しましたが、今でも彼は私にとって理想の上司です。質問するといつも的確なアドバイスをくれます。彼の考え方はスケールが大きく、想像にすら及ばないことばかりです」とチャンは声を大きくする。2020 年初めにスター・ウォーズの実写ドラマ『マンダロリアン』のセカンドシーズンの撮影が行われたのだが、そこでもチャンはルーカスからアドバイスを仰いだと話すチャン。現在はロサンゼルスにあるジョージ・ルーカス博物館の設立プロジェクトを共同で行い、今でも彼の下で多くのことを学ばせてもらっているのだという。
私生活では三人の子を持つ父であり、一番上の子は大学を卒業し、一番下は高校に入学したばかりだというチャンは、仕事に家庭にと、休む暇もない。「世界規模で四六時中デザインスタジオを運営しているようなものなので、疲労は溜まりますね。週末は心身のエネルギーを充電するようにしています。ヨガをしたり、海を散歩したり、自転車で山を駆け回ったりする事が多いです。ルーカスとスカイウォーカーランチで制作活動をしていた頃、クリエイティブいることに自然がどれほど重要な存在であるかを彼から学び ました」。
スポーツカーと宇宙船の世界観の融合。これもチャンの幼少の頃からの夢の一つだ。「子供の頃、ポルシェ に乗ってみたいとずっと思っていました。そしてスター・ウォーズのエピソード 1 の撮影が終わった後、 自分へのご褒美に最初のボクスターを購入しました」と嬉しそうにほほ笑む。
その際、ポルシェのデザイン・ディレクターであるミ ヒャエル・マウアーと共同で宇宙船をデザインする構想が持ち上がると、わずか 2 ヶ月の間でドイツのヴァイザッハとサンフランシスコで計 3 回の会議が行われ、数え切れないほどのビデオ会議を行ったのだった。そして 2019 年 12 月下旬に「トライウィング S-91x ペガサス・スターファイター」を発表。映画『スター・ ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』のプレミア上映イベントで宇宙船モデルを披露している。
「この宇宙船にはポルシェとスター・ ウォーズのデザイン DNA が融合しています。 現在のテクノロジーが追い付いていたなら、 ポルシェとスター・ウォーズの両方の世界に 存在していたかもしれませんね」 ダグ・チャン
「全く異なる分野ではありますが、私たちのデザイン哲学には明確な類似性があります」と頷くと、「映画を制作する上でエンジンやタンクのサイズを気にする必要なんてありませんし、安全面について考慮する必要もありません。それに宇宙船の動作確認を毎日入念に行う必要もないのです。しかしポルシェと同様、スター・ウォーズでも重要なのはデザインです。シルエット、美的感覚、ディテールにおいてブランドの本質を瞬時に認識させるデザインでなければならないのです」とダグ・チャンはポルシェとのコラボレーションについてこう述べる。
S-91x の後方に向かって先細になるキャビンの形状やコックピットフライラインからタービンまでの形状は、ポルシェ 911 やタイカンと視覚的に類似してる。「この宇宙船にはポルシェとスター・ウォーズのデザイン DNA が融合しています。現在のテクノロジーが追い付いていたなら、ポルシェとスター・ウォーズの両方の世界に存在していたかもしれませんね」とクリエイティブディレクターのチャンは笑顔で語ると、今後のスター・ウォーズの作品でポルシェ宇宙船が登場することを約束してくれた。「ポルシェとのコラボレーションにより、唯一無二のデザインが誕生しました。今後どのストーリーで登場させるのがベストなのか、考えることはそれだけですね」。
明日は新たなアイデアがいくつ生まれるのだろうか。ダグ・チャンは明日もまたゴールデン・ゲート・ブリッジを渡ってルーカスフィルムへと向かう。その 先に通じているのは「未来」だ。
サイドキック:ジョージ・ルーカス 博物館
1995 年、ジョージ・ルーカスはダグ・チャンをルーカスフィルムの芸術監督に任命した。その後、スター・ウォーズのエピソード 1、2、 3 を制作し、新三部作は 1999 年~ 2005 年の間に映画館で公開された。ルーカスは現在は映画事業 から引退しているが、現在、チャンと共にジョージ・ルーカス博物館のプロジェクトに従事している。